さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

「日本人論」再考 ~「近代化」不安克服の精神史的状況~

留学先で、「日本」というカテゴリーは、主観的にも客観的にも僕を規定する最大の要素の一つになっておりまして、色々考えるところ。今回は、以前直接お会いした、船曳先生の著作をざっくりまとめておきましたんで、ご参照のほど。

 

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

 

 

 

本書を僕なりに総括するならば、「明治以降の日本が「近代化」する中で浮き沈みを経験し、「近代国家」日本としてのアイデンティティを再検討する必要を感じた時に、日本人論は唱えられる」という筆者の仮説のもと、明治以降から平成初期にかけての日本人論の幾つかをテーマごとに拾い上げて概説し、明治維新大東亜戦争期と、敗戦ー現在間との間に「近代国家」日本における人々のアイデンティティの推移の類似性の相似を発見する、という筋書きになります。以下、各章ごとの簡単な要約を載せておきます。

 

第一部 「日本人論」の不安

第一章 「日本人論」が必要であった理由

 本章では、「日本人論」についての筆者の仮説が紹介される。日本という枠組みが意識される契機は対外比較―往々にして危機に端を発する―であり、その結果生み出される日本像は江戸時代に入るまでにその原型を揃えている。信長流の「国際日本」、秀吉流の「大日本」、そして家康流の「小日本」である。徳川政権樹立以降、日本は外国との全面的な接触に晒されてこなかったが、その「眠り」が覚めたのが黒船来航であった。幕末の動乱は日本を「近代化」へと向かわせたが、日本は紛れもなく「近代=西欧システム」の部外者であり、「近代国家」としての不安定なアイデンティティと向き合わなければならなかった。筆者はそう論じ、明治以降の日本は「近代国家」としての浮き沈みのたびに安定剤=「日本人論」を必要としたという仮説を提唱する。

 

第二章 「富国強兵」——日清・日露の高揚期

 日本人論の嚆矢として、志賀重昂「日本風景論」、内村鑑三「代表的日本人」、新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心茶の本」を取り上げる。筆者は、四名がともに明治初期の時代を象徴するエリートであること、発展著しい母国が西欧諸国に伍すことの証明が著作の基調であることを指摘する。筆者は、各人の差異にも触れて、各書籍の内容の違いにも言及しているが、それらについては各自参照されたい。

 

第三章 「近代の孤児」——昭和のだらだら坂

 本章では、1905年の「戦勝」から大東亜戦争にかけてのアイデンティティ・クライシスが主題である。第二章で扱われた4名はいずれも、西欧に対して、日本には西欧の基準からしても評価すべきことがらが存在していた、ということを意気軒昂、叫んでいた。しかし、日露戦争を経て、一挙に先進国クラブの一員として認められ始めると、それまでと全く正反対に、日本が「近代=西欧」たりえるのか、という疑問に向き合わねばならなくなったと筆者は言う。九鬼周造「「いき」の構造」、和辻哲郎「風土」、横光利一旅愁」、河上徹太郎他「近代の超克」は、そうした「近代国家」日本としての戸惑いを象徴する書籍として紹介される。

 

第二部 「日本人論」の中の日本人たち

第四章 臣民—―昭和憲法による民主主義的臣民

 宮沢俊義大日本帝国憲法体制から日本国憲法体制下での主権の移行を「八月革命」と呼んでいたが、そうした制度上の断絶にもかかわらず人々の間には連続性、つまり臣民性が隠然と存在している。戦前の日本を題材としたベネディクト「菊と刀」、そして戦後の日本を題材としたダワー「敗北を抱きしめて」とは、八月十五日という「短いのりしろ」をもって、天皇と人々との「主従関係」を描いていると筆者は指摘する。

 

第五章 国民——明治憲法による天皇の国民

 天皇、或いはそれに代わる権威、との主従関係から浮かび上がる「臣民」像と表裏をなすのは、国家利益に向かって行動を起こそうとする「国民」というモデルである。明治期の国家官僚たちが「坂の上の雲」に向かって一息に近代化の階段を駆け上ったことが「国民」モデルの最である。しかし、日露の勝利の後、日本の「国民」は暗雲につつまれてしまう。漱石の文学に現れるような方向感を失い、出世から脱落していく人々は、日露後の不安の40年間——司馬遼太郎はこれを「鬼胎の40年」と呼んだ―—における「国民」モデルの混迷を端的に指示している。明治以降の日本は、「臣民」と「国民」との両輪の働きにその栄枯盛衰を左右されてきたと筆者は説く。

 

第六章 「市民」——タテ社会と世間

 本章では、日本の人間関係を解読するうえでの二概念、「タテ社会」と「世間」とが紹介される。阿部謹也「「世間」とは何か」、中根千枝「タテ社会の人間関係」の中で紹介される「世間」と「タテ社会」という概念は、西洋とは性質を異にする社会である日本社会を正確に把握するうえで、「個人」「社会」という近代西欧的理解枠組みでは見えてこない実像を可視化してくれると筆者は言う。詳細については各自本文を参照されたい。

 

第七章 職人——もの言わず、ものつくる

 筆者は、職人を「むしろ猛烈に何かをしている、働く人たち」と定義して、表舞台に現れにくい日本人の側面の一つを指摘する。各人が自身の生業に注力し、特に「ものつくり」に高い評価を置く姿勢は、日本史の中においてもみられる。

 

第八章 母とゲイシャ——ケアする女たち

 時代とともに家族観は変遷する。その中でも江戸期、明治期以降に発達した家族制度の中で、女性は男性をケアする存在として社会的役割を担ってきた。家族においては、妻、そして母は、舅の介護を行い、夫を性的に、子供を教育的にケアすることを求められていた。一方で、妻との性交渉の機会を失った男性や、そもそも妻を持たない男性の性的慰安を担ったのが芸者であり、その周辺には巨大なシステムが構築された。筆者はさらに、この芸者が「ゲイシャ」として西欧に摂取された在り方を、オリエンタリズムにおける性という枠組みから説明している。

 

第九章 サムライとサラリーマン——文と武の男たち

 第八章から転じて、日本の男についての説明である。第一に、「サムライ」という概念が開国以来、日本内外から様々な定義を付与され、ともすると独り歩きしがちであった歴史を概観する。そのうえで、江戸期の武士における武装勢力と官僚としての文武に側面に着目し、その文の側面が戦後のサラリーマン像に継承されていると語る。具体的には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と「人間を幸福にしない日本というシステム」という、ともに米国人による著作を通じて、バブル前後のサラリーマン制度の功罪に焦点を当て、組織に忠誠を誓う「サムライ」的サラリーマン像を浮かび上がらせる。

 

第十章 「人間」——すべてを取り去って残るもの

 イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人」、マクファーレン「イギリスと日本」の二冊を扱う。「規律」への向き合い方、そして歴史人口学の観点から、ステレオタイプでは触れられることの少ない、日本人像の革新を摘出する。

 

第三部 これからの日本人論

第十一章 これまでに日本人論が果たした役割

 本章で、筆者はまず、これまでをふりかえって明治以降の日本における三つの時代区分を再度強調する。つまり、明治大正間の勃興期、昭和の停滞期、そして戦後の経済復興期である。その各期において、自身の仮説がどれほど適用可能かを検討する。更に、三つの時代を通じて、日本人論が、留学などにおける海外体験に執筆動機の端を得て、またかつ、専門家の「余技」として書かれてきたことを指摘する。

 

第十二章 これからの日本人と日本人論

 司馬遼太郎の言う「鬼胎の40年間」——日露戦争終結から大東亜戦争での戦敗まで——を担った人々は、「一等国」としての国際的認知と設備・制度の近代化の夢を享受した、明治世代の夢が実現した世代であったことを指摘し、平成の現世代も同様に、戦後世代の夢が結実した世代である事と比較する。筆者がこれまで指摘してきた種種の「日本人論」が、依然として一定の説明力を有していることを確認したのち、現代においては社会の複層化と、それに伴う「国家」という枠組みの相対化が進展していることを強調する。発展の曲がり角に来た今日於いて、筆者は、これまで150年間の「西欧追従」を改め、アジア諸国との関係性の中での不安定にも目を向けることの重要性を示唆し、21世紀を通じた日本人のアイデンティティ形成の新局面への期待に触れて筆を擱く。