さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

男らしさと真珠と尿結石

 真珠の養殖は日本で初めて開発されたらしい。貝の中に無理やり異物を押し込んで、その異物が貝の中で少しずつ真珠になっていく。真珠の成分は貝殻と一緒だそう。貝からしてみれば、自分の中の異物をどうにかしようと、その結果としてできたものに過ぎないのである。人間に置き換えれば、勝手に体の中で出来てしまうという意味で、尿結石と同じことである。もしかすると、近い将来、人間の腹を掻っ捌いて尿結石を取り出し、それを宝石として重宝する宇宙人がやってくるかもしれない。

 

 物心ついたときから、真珠は嫌いだった。トウモロコシとかグリーンピースとか、光沢のある小さな粒状の物体が個人的に不愉快で、真珠もその例に漏れない。真珠のイヤリングだけでも気持ちが悪いのに、ネックレスともなれば、それだけで体調を崩しかねない。特に女性たちが好んで真珠のアクセサリを身に付けるのがお葬式だった。幼少のころから僕はお葬式になると、真珠を見たくない一心で、ずっと陰鬱とした表情でうつむき、具合が悪くなっていた。僕は、幼いにもかかわらず、人を喪う悲しみを理解する、心のきめ細かい少年として、親戚の中で有名であった。

 

 男らしい、という人がある。そういう人は傍目に分かる。ごつごつとして、不愛想で、とっつきづらいのである。中には、どこまでも剛健で、それでもふとしたユーモアを持ち合わせている人がいる。また、中には、情に厚く、ときどき感情の噴火する人もある。ひとくくりにはできないけれど、それでも傍目に分かるのだから、人の感覚というのは不可思議である。

 僕の男らしいと思う人は、幾らかいるが、なぜ彼らが男らしくなったのか、いまいち判然としない。人の成りも、環境もみな違っていて、人に対する接し方も千差万別である。

 ただ、近ごろ思うのは、皆、何か「不条理」を飲み込まなければならなかったのかもしれない、ということである。それは家庭環境かもしれないし、大切な人との別れかもしれないし、外界での不遇かもしれないし、自分の無力さの実感なのかもしれない。ただ、そうした「不条理」を取り込み、体の中でのたうち回る其れと格闘したからこそ、彼らは在るのではないかと思う。異物に向き合った結果も悪くは無いなと、少し真珠の美しさを見直したような気になるのである。