さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

高齢者に対する見方を変えようぜ、という小論

最近、片っ端から著作を読んでるのが、ルンド大学のヨンソン博士なんですが、彼のメインテーマの一つがAgeism(高齢化は心身の弱体化と不可避に結びついているという考え方、或いはそれに基づく行動やシステム)を如何に克服するかってことでありまして、それについてまとまった小論があったので、まとめておこうかなと。

 

誤解を恐れずに言えば、高齢者を差別抜きで扱おうぜ、というお話。差別なんかしてないわ、むしろ丁重に扱ってるぜ、という人もいらっしゃるでしょうが、もちろんその通りなんでしょうけれど、実際の論はもう少し入り組んでおります。

 

差別ってなんじゃろな、と考えますと、ヨンソン博士らは「内集団比較」と「外集団比較」という概念が高齢者差別の根源にあるとおっしゃっているわけです。

人は物事の状態を評価する際に、たいていの場合、別の物事との比較を利用します。例えば、自分の収入が高いのか低いのか判断するのに、平均年収という一般基準であったり、先週末一緒に飲んだ同じ業界の友人の年収だったりを評価の軸にするわけです。ここで、自分と同じカテゴリー(上の例では同じ業界の友人)の集団を比較対象にすることを「内集団比較」、自分のカテゴリーとは別のより大きな集団と比較することを「外集団比較」と呼びます。

ここでヨンソン博士らが何を言いたいのかといいますと、高齢者介護の文脈では「内集団比較」が多用されすぎていて、高齢者のニーズが十分にくみ取られていない、高齢者の権利が不当にないがしろにされているんじゃないの、と指摘しているわけです。

何故、内集団比較が高齢者にとって問題なのかというと、Ageismという考え方がここに入り込んでいるからです。先ほども軽く触れた通り、Ageismというのは、高齢化に伴い人は心身ともに衰弱していくものであり、若い一般に人々らと同じ水準で生活することは難しいという考え方、あるいはそれに基づくシステムや行動を指します。一見すると、非常に生活実感に会う考え方ですし、かつ高齢者の方に無理を強いない、高齢者の方に出来る限りの補助を提供することを正当化するうえで、いい考えのようにも思われるわけです。しかし、ヨンソン博士らが一貫して批判している点ですが、この考えは、高齢者なんだから多少生活のクオリティが低下していても仕方がない、というあきらめにも似た考えに簡単に結びついてしまうんですね。例えば、認知症介護施設で、一人の利用者が散歩に行きたいといった場合、付き添いが必要になります。その時に、人手が足りなければ、その方の要望が却下されるのもやむなし、ということに往々にしてなるわけです。

でも、どんな分野でもそんなもんでしょうと思われるかもしれません。事実、僕も日本にいた頃はそういうように考えていたんですが、しかし、筆者はスウェーデン国内における若年障碍者福祉の例を持ち出すんでございます。

具体的に何のことかと申しますと、スウェーデンは長らく、若年障碍者が障害のない同世代の若者と同じような生活を送れるような支援を提供しようという流れがありまして、その点で、若年障碍者間での「内集団比較」ではなく、若年層という「外集団比較」が障碍者政策で用いられてきたと言えます。これを高齢者介護の文脈にも当てはめてみようと。

言い換えれば、Ageismの考え方を克服して、若い健常者に当てはまるような考え方、基準で高齢者被介護者の生活環境を考え直そうぜ、ということです。具体的には、管理しやすいように特別に設計された施設ではなく普通のアパートのような一人部屋に入居してもらおうとか、従来は別居もやむなしだった認知症カップルも一緒に住めるようにしようとか、「高齢者だから」「障害があるから」という理由を極力排除して介護にあたっている事例が紹介されています。

 

以上をふまえまして、以下いくつか考察、所感をば。

まず、如何にして、この理想を実現するための人員を確保するのか。日本でも画一的でなく個人のニーズに合わせたきめ細やかなサービスを、なんてテーマはいたるところで目にしますが、実際問題は介護労働力の不足で現場は最低限のサービスを提供するだけで手いっぱいな状況がほとんどではないかと思います。少なくとも、僕がインターン、訪問した施設はそうでしたね。スウェーデンでも介護職の人手不足は問題視されているんですが、そのうえで高齢被介護者の生活水準を一般健常者のレベルにまで引き上げようとすると、もっとも単純な方策は介護人員の拡充になるかと思います。これを如何にして実現するか。何らかのシステム変更で対応可能な可能性もありますが、この点についてはさらなる議論が必要かと思います。

次に、高齢者自身がAgeismに陥っていることへの対応ですね。自分の老いを軸にして物事を考えることは、様々現実上での困難に折り合いをつけるうえでは自然かつ精神衛生上良いことかもしれませんが、Ageismに対抗するためには、高齢者自身が自分のさらなる可能性に超したいという意欲を持ち、ステークホルダーとして権利主張をしない限り、政治上のシステム改革にはつながりにくいでしょうから、意識改革が必要かもしれませんな。

終わり。