さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

不眠

 今日も寝られない。いつものことなので、今日はエイヤと一息、未明からパソコンに向かっている。

 昨晩、夕食を取り終えてから、妙に腹の調子が悪くなった。グルグルと獰猛な音がひっきりなしに響いて、どうやらガスが溜まっているらしかった。どうにもやるかたないので、少しでも楽な体勢をと思い、横向きに寝た姿勢に辿り着いた。腹の虫がおさまるまで所在ないので、Kindle積読本のうちの一つ(電子書籍の場合、ボタン押し読、或いは、保存し読、とでも言うのだろうか。)を読み始めると、暫くしてそのまま眠ってしまったらしい。起きると、夜半の一時。ああしまった、と歯噛みしながら、急いで風呂と寝支度を整えるが、時すでに遅し。心地よい休憩を経て、脳は全開に稼働し、目は爛々と輝きだす。愛しの眠気は夜汽車に乗って去ってしまった。

 

 以上のような忙しいときの転寝のせいで眠れないことも時折あるが、小さいときから眠りには難儀していたように思う。保育園でついつい河童についての本を読んだときは、夜な夜な尻子玉を抜かれるのではないかと一晩中布団から周囲を警戒していた。小学校に入ってからは、キングギドラロックマンが戦っている空想に耽って眠れなくなり、早熟だった高学年の時には愚にもつかない妄想を布団の中で繰り広げていた。中高の多感な時期には、人間関係、自分、将来について、睡眠そっちのけで悶々と悩んでいた。

 布団に入ってから30分以上寝付けない日が週に半分を超えると、不眠症の一種である入眠障害にあたるそうだ。つくづく大きなお世話だと思う。この手の医学だとか教育にあたる人々は、ちょっとしたことを異常として区切り、針小棒大にその危険性を叫んでいるように思われるときがある。彼らの言う「正常」とは如何なるものか。一体、あなた方は何様なんだ。ちなみに、僕の親族は皆、教育・医学関係の仕事についている。

 さて、睡眠というのは調べてみると面白いもので、例えば一日一回8時間睡眠というのは、産業革命以降のライフスタイルだとされている。それ以前では、ヨーロッパでも中国でも、3時間ほどの睡眠を二回に分けて夜半にとり、場合によってはその間にお茶を飲んだり近所を訪れたりしていた人もいるらしい。現代でもアフリカやアマゾンの原住民族に同様の生活リズムを保っている人々があるという。ただ、現代医学は、個人差はあるものの、人間は一般に8時間程度の睡眠をとる必要があると言っている。この微妙なズレをどう見るか。

 また、睡眠はなんだか人生の無駄遣いのように思っている人もある。僕もだいぶ、この気がある。枕やマットレスを変えて3時間睡眠で大丈夫になったという人もあれば、一日に45分しか寝ないと嘯く人もある。そこまでいかずとも、現代の人の多くが、睡眠は可能な限り削りたいものと思っているのではないだろうか。一方で、睡眠を削ることで本人の気づかないうちに日中の行動効率が低下してしまい、結果的に逆効果だと反論する人も見かける。はたまた、こうした、一日の成果物を最大化しようとする効率主義に反対し、睡眠それ自体を人生の目的とする人も一部いる。以前、どこかで聞いた落語の高座でこんな話があった。あるところに一人の怠け者の若者がいて、一日中寝てばかりいた。見かねた親が、寝てないで勉強しろと叱りつけた。すると、若者はどうして勉強しなきゃならんのだ、と問うた。親は、勉強すればいい仕事にありつけるからだ、と答えた。若者は、どうしていい仕事にありつかなきゃならんのだ、と問うた。親は、いい仕事につけば金が手に入るんだ、と答えた。若者は、どうして金を手に入れなければならんのだ、と問うた。親は、金が手に入ればずっと寝ていられるからだ、と答えた。すると、若者は言った。わしゃ、それを今やっているんだ。

 睡眠というのは、その入り方から、社会全体における役割まで、何とも簡単なようで難しいものである。ただ、ここまで書いて確かに言えることが一つあるとすれば、寝ていないと人は愚にもつかないことを書いてしまうということだろう。ああ、早く寝なければ。