さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

不眠

 今日も寝られない。いつものことなので、今日はエイヤと一息、未明からパソコンに向かっている。

 昨晩、夕食を取り終えてから、妙に腹の調子が悪くなった。グルグルと獰猛な音がひっきりなしに響いて、どうやらガスが溜まっているらしかった。どうにもやるかたないので、少しでも楽な体勢をと思い、横向きに寝た姿勢に辿り着いた。腹の虫がおさまるまで所在ないので、Kindle積読本のうちの一つ(電子書籍の場合、ボタン押し読、或いは、保存し読、とでも言うのだろうか。)を読み始めると、暫くしてそのまま眠ってしまったらしい。起きると、夜半の一時。ああしまった、と歯噛みしながら、急いで風呂と寝支度を整えるが、時すでに遅し。心地よい休憩を経て、脳は全開に稼働し、目は爛々と輝きだす。愛しの眠気は夜汽車に乗って去ってしまった。

 

 以上のような忙しいときの転寝のせいで眠れないことも時折あるが、小さいときから眠りには難儀していたように思う。保育園でついつい河童についての本を読んだときは、夜な夜な尻子玉を抜かれるのではないかと一晩中布団から周囲を警戒していた。小学校に入ってからは、キングギドラロックマンが戦っている空想に耽って眠れなくなり、早熟だった高学年の時には愚にもつかない妄想を布団の中で繰り広げていた。中高の多感な時期には、人間関係、自分、将来について、睡眠そっちのけで悶々と悩んでいた。

 布団に入ってから30分以上寝付けない日が週に半分を超えると、不眠症の一種である入眠障害にあたるそうだ。つくづく大きなお世話だと思う。この手の医学だとか教育にあたる人々は、ちょっとしたことを異常として区切り、針小棒大にその危険性を叫んでいるように思われるときがある。彼らの言う「正常」とは如何なるものか。一体、あなた方は何様なんだ。ちなみに、僕の親族は皆、教育・医学関係の仕事についている。

 さて、睡眠というのは調べてみると面白いもので、例えば一日一回8時間睡眠というのは、産業革命以降のライフスタイルだとされている。それ以前では、ヨーロッパでも中国でも、3時間ほどの睡眠を二回に分けて夜半にとり、場合によってはその間にお茶を飲んだり近所を訪れたりしていた人もいるらしい。現代でもアフリカやアマゾンの原住民族に同様の生活リズムを保っている人々があるという。ただ、現代医学は、個人差はあるものの、人間は一般に8時間程度の睡眠をとる必要があると言っている。この微妙なズレをどう見るか。

 また、睡眠はなんだか人生の無駄遣いのように思っている人もある。僕もだいぶ、この気がある。枕やマットレスを変えて3時間睡眠で大丈夫になったという人もあれば、一日に45分しか寝ないと嘯く人もある。そこまでいかずとも、現代の人の多くが、睡眠は可能な限り削りたいものと思っているのではないだろうか。一方で、睡眠を削ることで本人の気づかないうちに日中の行動効率が低下してしまい、結果的に逆効果だと反論する人も見かける。はたまた、こうした、一日の成果物を最大化しようとする効率主義に反対し、睡眠それ自体を人生の目的とする人も一部いる。以前、どこかで聞いた落語の高座でこんな話があった。あるところに一人の怠け者の若者がいて、一日中寝てばかりいた。見かねた親が、寝てないで勉強しろと叱りつけた。すると、若者はどうして勉強しなきゃならんのだ、と問うた。親は、勉強すればいい仕事にありつけるからだ、と答えた。若者は、どうしていい仕事にありつかなきゃならんのだ、と問うた。親は、いい仕事につけば金が手に入るんだ、と答えた。若者は、どうして金を手に入れなければならんのだ、と問うた。親は、金が手に入ればずっと寝ていられるからだ、と答えた。すると、若者は言った。わしゃ、それを今やっているんだ。

 睡眠というのは、その入り方から、社会全体における役割まで、何とも簡単なようで難しいものである。ただ、ここまで書いて確かに言えることが一つあるとすれば、寝ていないと人は愚にもつかないことを書いてしまうということだろう。ああ、早く寝なければ。

過去の囚人か、それとも未来の開拓者か。

 

 不肖ながら、二十余年も生きていると、自分でも信じられないような不義理や無礼を働いてしまうことがある。失敗といってもいろいろで、自分の為そうと思ったことを途中で止めてしまったり、或いは予想外の結果を招いてしまったりと、その裾野は広い。しかし、数多ある失敗の中でも、自分の信義に反するような事態を招いてしまったときほど、後味の悪いものは無い。

 中学校一年の時分に、後に東日本大震災と呼ばれる、大災害を経験した。幸い、僕の生活拠点は被害の少ない東京であり、東北に住む近親者に目立った被害もなかった。当時、部活と遊びと学校行事に魂を捧げていた少年には、震災という出来事のリアリティは感じられず、放蕩に明け暮れる日々であった。しかし、阪神淡路、地下鉄サリンを経験せず、9.11の記憶も朧げな若者にとって、3.11は人生で初めての社会的危機として鮮烈な印象を持ち、日々の生活の端々にその存在を意識していたように思う。その日々見切れる存在に導かれたのか、高校二年の夏、自分と他者との関わりに疲れ果て、無為の只中に在ったとき、僕は初めて被災地を訪れた。

 小学校2年の時に抱いた夢を達成し、現実に打ちのめされた僕にとって、17歳から今日至るまでの日々は、ぽっかりと空いた内側の空洞を満たしてくれるものを探す、そぞろな道程であった。17歳で初めて訪れて以来、毎年何かに導かれるように僕は東北の地を訪ねて来た。そこには、復興の姿に新しい希望を無意識に見出す心持も、非「被災者」として何か学ばねばならないという義務感のような心持もあった。いずれにせよ、一度死んだ僕の人生にとって、東北の地は、常に傍らにあり、また、孑孑のようにふらふらとしている僕を指導してくれる地であった。

 そんな中、昨年の6月に宮城県某所の或る団体を訪問させていただいた。被災直後から、現地の人々を励まし、少しでも将来へ希望を持ってもらうために、地元の産品を使ってアクセサリを創ることを事業化した団体だ。僕の大学の先輩が参画していた縁で、団体の代表者に方々につないでもらい、忙しい中を縫って時間を割いていただいた。 多くのモノを学ばせていただいた。大学で政治学・法学を学ぶものとして、人と人との直接的なつながりが極限状態にある方々にとって大切か、という観点の抜け落ちを痛感させられた、と思っていた。

 ところが、つい先日、その先輩から連絡が入った。僕が先輩に現地を報告したことを報告していないどころか、お世話になった先方への御礼のメールもしていないことを指摘する内容だった。人間味の厚い彼からの連絡には、冷たく沈み込むような呆れ返った怒りが滲んでいた。慌てて送った報告のメールとお礼のメールとに返信は無かった。

 多くの場合、人は喉元過ぎれば熱さを忘れるものなのだろう。ただ、その失敗が僕の人格を脅かすものの場合、失敗は喉から臓腑へと落ち込んでいくにつれ、ますます僕に与える苦痛の度合いを増していく。それは対外的に信頼というものは修復が困難であるだけでなく、むしろ、その失敗によって自分の人格の浅薄さが白日の下に晒され、自分のつまらない自尊心さえも存立を許されなくなるからである。それまでの自分のあらゆる美点が灰燼に帰すからである。

 

 そう思うと、過去の積み重ねとして自分を捉えていることに気が付く。過去から自分を定義することに、論理的必然は無い。

 どうしてだろうと考えると、一つ思い至るのは、他人は過去の積み重ねからでしか僕を判断できないからだろうということ。学校の成績も、評判も、全てこれまでの積み重ねと、その延長線上でしか判断できない。

 ただ、その考えを自分に適応する必要も、また無い。自分の中に日々生起する様々な思考と、そこに由来する可能性を考えれば、自分の未来でもってして自分も定義しても罰はあたらないだろう。

 もちろん、これを自分の失敗を糊塗する形で場当たり的に使ってはならないだろうけれど、過去の囚人ではなく、未来の開拓者として自分に期待をかけてやるのも、良いのかもしれない。 

男らしさと真珠と尿結石

 真珠の養殖は日本で初めて開発されたらしい。貝の中に無理やり異物を押し込んで、その異物が貝の中で少しずつ真珠になっていく。真珠の成分は貝殻と一緒だそう。貝からしてみれば、自分の中の異物をどうにかしようと、その結果としてできたものに過ぎないのである。人間に置き換えれば、勝手に体の中で出来てしまうという意味で、尿結石と同じことである。もしかすると、近い将来、人間の腹を掻っ捌いて尿結石を取り出し、それを宝石として重宝する宇宙人がやってくるかもしれない。

 

 物心ついたときから、真珠は嫌いだった。トウモロコシとかグリーンピースとか、光沢のある小さな粒状の物体が個人的に不愉快で、真珠もその例に漏れない。真珠のイヤリングだけでも気持ちが悪いのに、ネックレスともなれば、それだけで体調を崩しかねない。特に女性たちが好んで真珠のアクセサリを身に付けるのがお葬式だった。幼少のころから僕はお葬式になると、真珠を見たくない一心で、ずっと陰鬱とした表情でうつむき、具合が悪くなっていた。僕は、幼いにもかかわらず、人を喪う悲しみを理解する、心のきめ細かい少年として、親戚の中で有名であった。

 

 男らしい、という人がある。そういう人は傍目に分かる。ごつごつとして、不愛想で、とっつきづらいのである。中には、どこまでも剛健で、それでもふとしたユーモアを持ち合わせている人がいる。また、中には、情に厚く、ときどき感情の噴火する人もある。ひとくくりにはできないけれど、それでも傍目に分かるのだから、人の感覚というのは不可思議である。

 僕の男らしいと思う人は、幾らかいるが、なぜ彼らが男らしくなったのか、いまいち判然としない。人の成りも、環境もみな違っていて、人に対する接し方も千差万別である。

 ただ、近ごろ思うのは、皆、何か「不条理」を飲み込まなければならなかったのかもしれない、ということである。それは家庭環境かもしれないし、大切な人との別れかもしれないし、外界での不遇かもしれないし、自分の無力さの実感なのかもしれない。ただ、そうした「不条理」を取り込み、体の中でのたうち回る其れと格闘したからこそ、彼らは在るのではないかと思う。異物に向き合った結果も悪くは無いなと、少し真珠の美しさを見直したような気になるのである。 

責任

 「何でも持てる体力をつけることだよ、どんな重さのものでも」

 最近、とんねるずにハマっている。上の言葉は、貴さん目当てで見た『リシリな夜』(TBS系列)にて、「モテる秘訣は何ですか」という質問に対して、作家の伊集院静さんが発した言葉である。ああ、洒落てんな、と心底敬服する。

 

 僕は約束をよく破る。みっともないことだ。集合時間には決まって遅れてしまうし、気の乗らない用事は記憶にもスケジュール帳にも残らない。なんて俺は無責任なんだと、ときどき自己嫌悪になる。

 一方で、相手が忘れたような約束でも律義に守ることもある。中高5年間は遊び惚けるけど必ず東大には入るという両親との約束は何とか果たした。両親は忘れていたけれど。いつか必ず会いに行くと約束した女性に会いに行った。相手には引かれたけれど。

 法律を学んでいる身としてあってはならないが、約束=契約という拘束に何ら義務感が無いのだと思う。自分が楽しいと思うことにしか意識がいかないのである。特段、圧力の中にあったわけでもなく、また強い期待をかけられたわけでもない人生を通じて、フラフラとお気楽に自分の好きなことをやってりゃ良かった軟派者のなれの果てなのだろうか。

 

 最近、もっと責任感のある男にならなければ、と痛感している。無責任野郎では、自分が愛した人でさえ、支えられないのである。人を支えるには、気概だけでなく、鍛え上げられた足腰が不可欠なのだと思う。失敗に汚点はいつでもついて回るものだけれど、七転び八起きで少しずつ足を太くしていくほかないのだろう。

海風の気風

 前川清さんの名曲「長崎は今日も雨だった」を聴くと、ふいに、修学旅行で訪れた長崎の港町の白と青入り混じる町並みが思い出される。山と海に囲まれた程よい雑踏は、都会らしい卑屈さとは無縁の不思議な清々しさをたたえていた。雨続きの長崎をうたった名曲に雨の陰鬱さを感じないのは、その長崎という風土のなせる業なのかもしれない。

 

 所変わって、僕の滞在するルンドは今日も雨模様である。氷点下を下回る年初の寒さこそないけれど、気温一桁台前半のそぼ降る雨は、どこか開き直ったかのような不機嫌さであった。僕は中学のころ、雨の下で傘をさすことは阿保らしさを結論付け、以来、濡れては困るものを持っていなければ傘はささないと決めていた。ときどき、そんな自分のあほらしさに感心するが、今日も、寮を出て雨の程度を確認すると、僕は、ぐっと決意を決め、帽子を目深にかぶりダウンコートの襟をそばだてて、決然と授業へ向かったのである。すれ違う人々も、どこか、いつもより先を急いでいるように見えた。

 

 スウェーデン語の授業を終えると時々、ああどうして僕の世界はヨーロッパ中心に動いているんだ、とやるせなくなる。ひょいひょいと言語の壁を越えていく欧州系の生徒をよそに、アジア出身の学生は言葉を覚えるだけで呻吟している。普段はそこに粘り強さの矜持を見出すのだけれど、人は常に気高く在れるものではないのだろう。

 離れた場所に自転車を止めていた友人に別れを告げ、帰途につくと、同じ授業を受けているイタリア人の学生と一緒になった。別段会話をするわけでもなく、窓の外に見えた雨模様に僕は身を引き締めた。

 ———ああ、寒い嫌な雨だな。

 言語学棟を出ると、そのイタリア人の学生が僕のほうに向きなおり、何かを喋っていることに気が付いた。僕はヘッドホンを外し、彼に聞き直すと、彼はこういった。

 ———Such a nice weather, tack för Sverige!

 卑屈さのかけらもない笑顔だった。僕が返す言葉を探していると、彼は次の授業で会おうと言い残し、さっさと自分の自転車を取りに駆け出していた。彼は確か、イタリアの南方の聞いたことのない町の出身だった。彼は一面に開けた地中海の景色と、生まれ育った港町を誇りに思い、名前も知らない東洋人に旅行しに来るよう、人懐っこく勧めていた。闇に消えていく彼の後姿を見ながら、彼のまだるっこしいRの巻き舌が何とも爽快に反響していた。

スウェーデンの「息苦しさ」

スウェーデン社会保障政策を勉強しておりますと、社会保障の名の通り、人々の最低限の生活ラインを保障する 意識と実際の施策の手厚さに感心させられるわけでして、Det tryggaste samhället(最も安心安全な社会、というような意味)と自国社会を形容した友人の言葉に何度も立ち返らせられる日々でございます。

 

ただ、一方で、留学開始以来、スウェーデン社会に対して「息苦しさ」のようなもの、手放しで賞賛できないわだかまりをどこかでずっと感じてきておりまして、今回の投稿はその一部を文字に落とし込む試みとなっています。

 

スウェーデンの「規範」

スウェーデンに来て驚くのが、猫も杓子もみなスウェーデン社会を礼賛していること。もちろん、昨今の移民問題や高齢化に伴う制度改変をはじめ、スウェーデン社会の細かな制度設計への不満はあるにせよ、スウェーデン国民も留学生も、みな口を揃えてスウェーデン社会の基本的方向性に賛同しているように見受けられます。メディアも市井の人々も内憂外患を嘆く社会から来た人間としては、何とも奇妙な環境に来たという実感を禁じえません。

さて、僕の周りの人々のスウェーデン礼賛の共通項は何かというと、「個人の解放」「平等」。

「個人の解放」というのは、人々が抱える様々な「桎梏」を解消し、人々が同じ状況で生きていける状況を創ろうとする方向性。例えば、スウェーデンでは、ほとんどの文化圏と同様に、伝統的に女性が育児家事を担当することが当然とされていたのですが、主に二次大戦後の社会改革で、公的サービスの拡大によって各家庭が私的に負担する家事育児の量を減らし、かつ男性と女性が同等の家事育児負担量になるような制度設計がなされた結果、世に名高い男女平等社会を作り上げたとされます。女性解放以外にも、身体・精神上の障害を認定された人々が健常者と同等の生活を送れるよう、手厚い公的サービスが保障されています。性的マイノリティに寛容とされていることも、性的嗜好・自認の如何で個人の可能性が制限されないように、という解放性・標準化の現れの一つと言えましょう。

さて、「平等」といったのは、すべての人間に上記の救済措置が取られる指向性のことでして、スウェーデン国民のみならず、紛争で故郷を追われた人々に対して適用されれば寛大な難民受け入れ政策につながります。長年、労働力不足解消のために南欧・東欧からの移民受け入れを積極的に行ってきたスウェーデンですが、国内での労働力不足が顕在化していない現在においては人道的理念が移民政策の主要要因とされます。また、人によって、平等性の適用は人間にとどまらず、みんな生きているんだ友達なんだ的メンタリティのもと、動物の肉を一切食べない、或いは可能な限り忌避する傾向がみられます。ここはインドのヒンドゥー教圏ほどではないにせよ、菜食主義は一定の影響力を持っております。面白いのが、経済的に可能な限り肉を避けよう、という折衷的態度が見受けられること。ドグマ的に肉を忌避しているわけではなく、自分の消費量を減らすことで少しでも動物が殺されるのを防ごう、という実際的考え方なので、創造するようなファナティックな雰囲気は弱め。はたまた、話が環境問題に移りますと、平等の意識は未来の世代にも及んでおります。つまり、現代に生きる人と同様に、将来に生きる世代にも環境を享受する権利がある、という考えの元、環境保全活動、或いは政策が主張されるわけです。もちろん、ほかにも考え方はありましょうが、実際に留学先のルンド市の環境保全課にインタビューを行った際には、次の世代に負担を先送りしないこと、が最大のテーマとして強調されていました。

 

以上のように、個人の自由の尊重、平等の原則が徹底している風潮は、裏を返すと、こうした理念に反する言動や制度に対して否定的であることにもつながっています。

例えば、男女の役割の違いを強調するような言説は好まれません。確かに、「男が稼いで、女は家で家事と育児だけやっていればいい」というような論は、日本でも大きな批判の対象たりえます。ただ、スウェーデンはさらに徹底していまして、男女関係が始まるにしても、「アプローチを始めるのも男女平等であるべき」と僕の周囲のスウェーデン人大学生のほとんどが考えています。それは性交渉の局面ではなくて、声をかけるだとか食事に誘うとか、そうした人間関係の構築の局面でことさら強調されます。「男の方から誘うのが普通」と個人的に思っていた僕の意見なんかは、旧態依然的で、not goodだそうです。

また、政府を中心に生産年齢人口の労働市場参加を強く奨励しており、かつ男女ともに市場参加率が高いことは、裏を返すと、働いていない人に対して「働くべき」という圧力がかかりかねないことにもつながります。事実、高福祉は高負担を前提にしているため、再就職支援の名目のもと、失職者は速やかに行政の就労訓練に参加することが義務付けられています(秋朝, 2010)。決して多数ではないものの、女性の間で専業主婦になりづらいことに不満を抱えている人も少なからずいるよう。

 

以上のように、国民の間での広範な同質性、更に言えば「規範」が広く共有されていることからこそ、高福祉高負担のスウェーデンという国家は形成されている一方で、その「規範」に必ずしもそぐわない個人は、国家や社会が個人を一定の方向へ強制する圧力のせいで、常に少なからぬ居心地の悪さを感じ続けることになってしまうんではないでしょうか。解放されるべき「桎梏」は公的に決定されていて(「女性性」や精神や肉体の「障害」)、また社会の構成員間の差異は是正されなければならない。

 

不愉快でない権力

今回は、スウェーデン社会にみられる「規範」の拘束力をフーコー福祉国家とその権力批判の文脈で理解しようと思います。

依拠するのは、『監獄の誕生』でフーコーの展開する、人々を矯正し活発な服従への馴致する権力観。君主の権力のデモンストレーションとして機能した身体系中心の古典主義時代の消極的刑罰体系から、支配層に不都合な人間を取り除きつつも規律化して一定期間ののちに社会に復帰させる拘束系中心の積極的刑罰体系への変化から、近代国家の持つ、「国家」という主体のために人々を教化し規律を与えて動員しようとする指向性を指摘しています。この権力においては、国民の幸福と生命の管理・増進が目的であり、国民の生活は細部に至るまで政府の関心事となります。また、この「規律」中心の権力は「正常」と「異常」を区別する科学と密接に結びついているとされ、近代において著しく発達した医学、精神分析学、心理学、疫学、発達学はこうした「規範」形成に重大な役割を演じたとされます。この権力の最高の顕現は、「少年院からの出所の折、そこで過ごした日々に感謝し、またその日々との惜別に涙する少年」というイメージで象徴されます。

この権力概念の有用性の一つは、人々の意識に上らない権力——ルークス的に言えば、第三の権力——を捉える契機となりうること。権力が人々に意識されるのは、各人の意志とは反する行為を強制されたり、自分の意見を抑圧されたりと、明確に負の効果とそれへの不快感が知覚された瞬間がほとんど。しかし、このフーコー的権力観——生ー権力——は、目的自体が「国民の生命と幸福の増進」であるとされ、個人の生命と幸福の増進との間に見かけ上の矛盾がほとんどないこと、また、この権力観においては「正常」な国民を養成するうえで教育が国家の最大関心事となるため、個人の価値観・意識に国家が大きく浸食していることが想定されることから、素朴な権力観では捉えきれない影響を想定・浮き彫りにできます。

一方で、フーコー的権力観——生ー権力——は、たとえその存在を認めたとしても、反抗の可能性は極めて乏しいと言えます。それは、以下の問いに集約されるでしょう。

第一の問いは、「この権力にあらがう必要はあるのか」という根本的な問い。通常、権力への抵抗は自分の実感する不快感の解消を原動力とするものですが、この権力観において、権力の行使は個人の価値観と概ね一致した方向性で行われ、結果的に各人は「権力の影響」をそれとは実感しない状況が生まれます。後述のように、この権力は「一つの装置」であり、この「装置」の中で生まれ育ったものにとって、それを批判することは極めて難しく、また、各人の認知する、実際的な克服の必要も乏しいものだと言えるでしょう。

第二に、この権力に抵抗の対象たる「権力行使主体」は存在するのか。従前の権力論においては、あくまで権力とは主体Aが主体Bに対して行使するものとされ、その際、主体Aは主体Bに対して影響力を行使する意図を持っていると想定されます。しかし、主体Aと主体Bとの関係性の双方向性が高まった場合、両者の権力行使関係は曖昧になっていきます。政治的局面で、「支配層」と「被支配層」を想定する場合、王と臣民という図式においては、両者の構成員の流動性は少なく、関係性は一方的になりやすいでしょう。一方で、民主主義体制——国民が治者にも被治者にもなる体制——では、両者の人的流動性は高く、政治家が政策によって被治者に影響を行使するのみならず、被治者も選挙など政治家への強い影響力を持ち得るため、両者の権力関係は双方向性を増します。結果、一定の教育制度・環境下で育った被治者には一定の価値観が外在的に形成され、そうした彼らの要望に沿う形で治者は政策を講じるというメカニズムが形成されます。とりわけスウェーデンのように、歴史的な社会的階級制が弱く、また政策の媒体たる政治機構が巨大な社会においては、治者・被治者の区分と影響の因果はますます不明瞭になり、方向付けされた価値基準が、「権力行使主体」の意識のないまま、加速度的に強化されることに繋がります。権力構造自体が、行使主体不在のまま、自己完結的な「装置」として機能し得るということです。

 

ユートピアスウェーデンへの批判の可能性

スウェーデンの政治制度を批判することは、多かれ少なかれ「スウェーデンを礼賛するような大人に教育されて育ってきた」といえる僕にとって、自分の既存の価値観を攻撃することであり、自己矛盾的で容易ではないんですが、少なくとも現時点で可能性を見出している糸口は以下の三点。

第一に、「正常」と「異常」とから成る、「治療されるべき」二項対立の図式の超克。具体的には、最初の章で触れたように、医学的、心理学的な「異常」の研究と、その治療指向性ことを言っております。一般に、「健康」=「正常」という図式で現代医学や心理学は考えられており、「不健康」=「異常」は治療によって克服されるべきものだとされています。高福祉といわれるスウェーデン社会保障制度も、身体的・精神的「異常」を抱えた人たちが「正常」な人と同様な生活を送れることを主目的とし、世界的にも有数の広範な制度を形成するに至っています。しかし、この二項対立は自明だと言えるのでしょうか。フーコー的系譜学によれば、この「正常」と「異常」との二項対立は、近代国家成立の折、工業化や戦争など国家目的の遂行のために適切な国民を確保する必要から、人々を規格化するために導入された分類とされます。この二項対立の問題点は、公に「異常」が定義されることで、そのカテゴリに該当する個人は、自らの「異常性」を認めることを余儀なくされ、近代以前では抱かなかったような「強調された苦しみ」に苛まれる可能性があること。とりわけ、スウェーデンのように、様々なカテゴリの「異常」に対するサービスが充実している社会では、サービス利用が気軽であるがために各人の「異常」を浮き彫りにする機会が多く、かつサービス受給資格など「異常」の定義が明確であるがために「正常」と「異常」との境も明確になります。結果、個人は自らの「異常性」を受け入れることを余儀なくされ、不必要な苦しみにとらわれる可能性があると言えるでしょう。

第二の批判は、基本的人権の尊重と平等というような、スウェーデンの現代政治を支配する理念の先に、潜在的な問題があるのではないか、という問い。この問題に応える契機として僕が見做しているのは、スウェーデン国内での孤独死の問題。前述の通り、各人の「桎梏」からの解放を目指すスウェーデンでは、defamilization=脱家族が顕著な社会的特徴とされています。日本でいう核家族化をさらに推し進めたような状況でして、個人の生活上のニーズの大部分を政治が担い、個人が私的人間関係に頼る必要がない社会を目指す、というものです。具体的には、離婚しても経済的に困窮しないような制度が整っており夫婦間の依存関係は弱く、また、介護等も政治が代替しているため、親子間での依存関係も解消されています。それだけ聞くと良いことのように思われますが、この負の側面として、高齢者における孤独が近年問題視されています。つまり、一切の人間関係に頼らずとも、政治的制度のおかげで生きていけるので、特に学校や職場の機会のない高齢者において、個人間の結びつきが弱まる傾向にあるということ。「終わり良ければ総て良し」というように、人生においても最晩年の充実度が人生そのものへの満足度に直結すると個人的に考えているので、スウェーデン社会における孤独死の問題は、個人化を目指す風潮全般における重大な問題点として今後とも扱っていきたいと思います。

最後に、「人権」「平等」というような価値観は、唯一絶対のものなのか。これは、日本に比して上記の理念が極度に普及しているスウェーデン社会に身を置いて最初に感じた違和感であり、また、「西欧」=キリスト教社会という前提の元、歴史上長く異世界であった「日本」或いは「非キリスト教徒」というアイデンティティからくる反動的問いです。僕の生涯の教育を通して、「人権」や「平等」という理念は常に「目指すべき理想」として無批判に語られてきたように思います。もちろん、この莫大な問いの前に、安易な自己肯定という陥穽に陥ることなく、新しい地平を切り開くのは至難の業でしょうが、ニーチェ的系譜学、或いは儒教など空間的に僕に近い学問を知ることで、新しい価値観を養成できれば、スウェーデンという「リベラリストユートピア」を原理的に批判できる一歩となるでしょう。

 

終わり。

儀式

 『死の家の記録』の中で、普段は荒くれ物の流刑囚たちが、キリスト降誕祭に際して、まるで別人のように粛々とふるまう描写が登場する。世の規則に背いた悪党どもが、自らの意志で、何の義務もないルールに身を服している姿は、どこか微笑ましい。

 囚人たちのこうした気分のあり方は瞠目すべきもので、感動さえ覚えた。大いなる祝日に対する生まれながらの敬虔の念に加えて、囚人たちは無意識に感じていたのだ——この祭りを祝うことによって、自分はいわば世の中の人全部と触れ合っている。ということは自分も、完全に世から見捨てられた滅びた人間ではないし、切り離されたパン切れなんかではなく、たとえ監獄の中にいても、世間にいるのと同じなのだと。彼らはまさにそう感じていた。それは一目瞭然だったし、また理解できることであった。(光文社『死の家の記録』)

  シベリアの彼方の囚人たちが遥か遠くの市井の人々との繋がりを再現しているように、世の種種の儀式的形式は人を何らかの概念と結びつける手段としての意味を持っている。儀式は、日常では到達し難い概念に対して、より多くの人間が、より簡単にアクセスすることを可能にしている。

 ここでいう概念の一つとして、各人の過去がある。囚人たちにおいては、幼き頃に家族で祝った祭日であり、収監以前に味わった市井の様々な感情であるのかもしれない。或いは、儀式の対象が個人よりはるかに大きな構造の場合もあるだろう。宗教的儀式がそれであり、個人では到底たどり着けないもの——一般には神、ジョゼフ・キャンベル的に言えば「見える次元を支えている見えざる次元」——と個人とを一体化させる機能を持つ。

 こうした儀式を通じて、人は何を求めているのか。まず第一に、自己をより純粋な、より高次の存在として再認識すること。神との接近を意識する際は言うまでもなく、過去の思い出が対象となるときも、そうした思い出は何らかの概念——身体的若さ、絶対的楽しさ、燃えるような恋など——に昇華しており、人は儀式を通じてその概念を現在の自己に再投影している。こうした意味合いは、裏を返すと、儀式を通じて現在の自己の否定とつながっている場合も多い。柳田国男が東北の祭りの習慣を「ハレ」と評したように、祭りは日々の単調で苦労の多い日常から自己を開放する契機として解釈しうる。

 とまぁ、素人講釈を垂れましたが、言いたいことは儀式は自分の分析に役立つ物差しだということでして。僕自身、優れて「儀式」色の強い中高時代を過ごしていたので、当時はいろいろと議論がありましたが、儀式を一体化のプロセスと考えると腑に落ちることも多いわけです。当時、「伝統」という言葉でひとくくりされていたことは、少し細分化すると、自分がそれまで経験してきた思い出であり、自分が心底あこがれた先輩方の姿であり、日々の細かな行為に、そうしたものとの一体化の契機を読み込んでいたんですな。

 それはそれですごく楽しいことが多かったんで厘毛ほどの後悔もありませんが、やはり問題点も多々ありました。まず、この手の儀式はそれが象徴するものと密接に結びつているため、その対象への愛情と嫌悪とが激突する瞬間にもなるわけです。嫌悪抱く側がいくらそれを批判したところで、その対象と儀式とを愛している側からすれば馬の耳にぶつぶつ言っているようなもんでして、一切響かない。少しお互い歩み寄ろうと思っても、儀式の形式の端々まで愛着があるもんですから、簡単に妥協案を出せるわけでもない。「生みの苦しみ」とは良く言いますが、万事、改革するってのは流血なしでは進まないって言うことは、これも要因でしょう。

 何より、人が不安だったり、明確な目的がないときほど、儀式は跋扈するということ。確か米朝師匠だったと思うんですが、曰く「才能がなくなると、形式が始まる」。形式が必ずしも悪いわけではありませんが、形式を如何に自分事として些細な感覚を大事にできるかが分かれ目、ということでしょうか。

 

死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

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神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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終わり。