さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

【書評】丸山眞男―リベラリストの肖像

 戦後知識人の白眉、丸山眞男の思想と人物像を、同じ東京大学日本政治思想史教授の著者が語っている。

 僕が丸山を知ったきっかけは、後述するように、幼少期の全く偶然の出来事だったが、ほかの人も授業や書店で一度はその名を耳や目にしたことがあろう。駒場の生協書籍部岩波新書コーナーの最右端で、同じ緑色の表紙のE.H.カーの「歴史とは何か」と共に丸山の「日本の思想」が平積みされているのを見るたびに、いつも「必読書」という強烈な社会的圧力を感じざるを得なかった。

 さて、本書では時系列に沿って、丸山眞男の思想と人物像が簡明な言葉で描かれている。国粋主義自由主義とが濃密に混じり合った家庭環境から始まり、マルクス主義にも国粋主義にも与しない、自由や民主主義などの西洋的価値観を奉じるリベラリストとしての丸山の思想を説明している。筆者が繰り返し強調するように、思想界におけるその強大な存在感故に丸山の言論は、ややもすれば極めて感情的な反論異論をぶつけられ、正負様々な虚像にまとわりつかれている。一方で、筆者は、丸山の大きな社会的影響力については控えめな記述のみにとどめ、むしろ一人の政治思想史学者の学問的編纂を淡々と、時に同僚に接するような温かみをもって、描写している。

 本書に描かれる丸山の姿は、如何にも人間臭い。旧制一中時代には不良になり切る勇気はないものの小さなルール違反を重ねて「ワル」ぶる姿や、治安維持法による取り締まりを恐れずに左派に傾倒する周囲に対して自ら「ムード的左翼」と呼ぶ不明確な自分の位置取りへの自己批判は、戦後の一時代を画した大学者への親近感を感じずにはいられない。また、マルクス主義歴史観の超克と天皇制の解明、日本における「近代的個人」の創出といったテーマに捧げられた戦後の学者人生も、基盤となる理念の不安定と大衆化の時代状況の中での苦悩と共に、戦後の丸山評の雑音を排して語られている。

 丸山はその歴史認識の正確性を批判されることも多いが、しかし、日本の政治風土が抱えた問題点と生涯をかけて向き合った人間の思想と苦悩は、現代においてもなお巨大な意味を有している。丸山は、民主主義の確立には「国家の運命「自らの責任に於いて担ふ能動的主体的精神」」が不可欠だと説いた。50年以上の指摘に、今日の私たちは応えられているだろうか。

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【書評】トレイルズ

アパラチア山脈に沿って三千五百キロに及ぶ自然歩道、それがアパラチアン・トレイルである。著者ロバート・ムーアは五カ月かけてその全行程を歩きとおした。そして彼は、「トレイル」というものそのものについて、考え始める。
 トレイル、それは「道」であるが、むしろ何ものかが移動した跡である。ムーアは、昆虫や動物たちのトレイルを調べ、その目で確かめ、体験し、トレイルについて考えていく。そしてアメリカ先住民たちのトレイルへと探求が進むと、トレイルの意味がしだいに明確になってくる。
 場所は意味をもつ。たんなる空間点ではない。場所には物語がある。そこに何があり、何があったのか。そこで何が起こり、何が起こったのか。現在だけでなく、記憶も神話も、場所と結びついている。そうした物語をつなぐものが、人々がそこを行き来した跡——トレイルなのだ。
 だが、そうだとすると、アパラチアン・トレイルとは何なのか。人はそこに手つかずの自然を求める。しかしそれは、人間たちの物語を抜き去った自然という幻想ではないのか。
 ムーアは結論を急がない。自分の中にあるいくつかの考えを、ゆっくりとバランスをとって最も落ち着く位置に置こうとしているように見える。だから、その探求の旅が私たちにも静かに染み込んでくる。
 トレイルとは、過去の人々から私たちが引き継いでいる知恵だ。それは地面の上に形象化されたものだけではない。そう考えると、私は、自分がトレイルを見失いどこに行けばよいのか分からなくなっているようにも感じる。しかしすぐに、いや、なんらかのトレイルを引き受け、いまもそこを歩いているんだ、と思いなおす。
 かつて一人の禅僧が語ってくれた言葉を思い出す。
 離るべきは道にあらず。——くっついたり離れたりできるようなものは道ではありゃせんのです。

         朝日新聞2018年3月4日掲載 野矢茂樹

 

  野矢茂樹が書評を引き受けた本だから。そんな理由で読み始めた本だった。

 

トレイルがより早く目的地に到達させてくれるほど、わたしたちはますます世界の複雑さや流動性から遮断され、生活は脆弱で、固定され、近視眼的になってしまう

                    本書エピローグp.365より引用

 いみじくも筆者が近代的移動手段の効率性の裏に隠された欠落を喝破したことと重なり合うように、本書は、ややもすれば迂遠に過ぎると受け取られかねないほどに、トレイルに関する広範な話題を扱っている。Chapterを追うごとに、読者はごくごく小さなな古代生物の痕跡から、大西洋を囲む壮大な、現代のトレイルコースへと、視線をいざなわれる。

 古代生物の痕跡、虫たちの外在知と集合知、哺乳類のより高度なシステム、アメリカ先住民とトレイルと伝統知、ハイキングトレイル形成の歴史、現代社会の人工と自然、縷々転々と語られるテーマは、2つのテーマを通奏低音としている。「人工と自然」、そして「人生におけるトレイル(道)の意味」である。

 

 時々、宗教と科学を、まるで対極に位置する決して相容れない概念のように扱う人がある。無論、西洋近代史において宗教の蒙を啓くという形で近代科学が発達してきたとの言説に従えば、両者の差異は大きなものになる。しかし、科学史の門外漢としての無知を承知で言えば、人間が決して把握しきれない自然という存在への一定の理解枠組みという点では、宗教と科学との差異は限りなく小さくなる。

 都市に住み、現代文明の御膝元で暮らす僕らからすると、自然が把握しきれない、という感覚は持ちづらいかもしれない。しかし、本書の筆者がハイキングを通じて向き合う自然は、東京の中に存在する馴致された自然とは様相を異にする、まったく人間の力の及ばぬ存在である。筆者がカナダ、ニューファンドランド島で遭遇した、低木で閉ざされた陰鬱な森での描写に、僕は戦慄を禁じ得なかった。

 一晩中小雨が降り続いていた。夜明けごろ目が覚めると、空に紫色のヒヤシンスのような帯があり、こちらに向かって動いていた。はじめ、この美しい景色は雲の切れ間なのだと思って、もう一度眠ろうとした。だが、寝袋に横になろうとしたとたん、その紫色の縞模様にわずかな雷光が見えた。晴れた空ではなく、地平線の端から端までつながる嵐雲だった。それはかすかに飲み込むような音を立てた。

 頼るべき一切の人工のない世界で、無慈悲で圧倒的な自然と向き合わされ、慄然と、呆然と立たずむ事しかできない、この人間存在の矮小さ。筆者は続ける。

ロマン主義の美名をはぎ取られた原野は、人に霊感を与えるようなものではなかった。わずか一枚の美しい幕をはぎとれば、崇高さは消え、恐怖が顔を覗かせる。探検家のジャック・カルティエは一五三四年にこの島を訪れ、「これは神がカインに与えた不毛の土地ではないだろうか」と述べた。

 現代文明の作り上げたシェルターに生まれ育った人間にとって自然は如何様に受け止められるのか。征服し管理し改造する対象か、はたまた、都市文明の汚濁と対をなす穢れのない休息の空間か。本書で提示されるのは、むしろ、人間の運命にまるで関心のない残酷さという自然の一側面である。ゲーテが「我が子を食べる、恐ろしい怪物」と描いたように。

 東日本大震災が象徴するように、自然はいともたやすく人間存在を吹き飛ばしていく。そうした圧倒的力と対峙し、自己の存立を根底的に脅かされたときに人が生み出すものが宗教なのだと僕は考える。自己の意義と死と。科学の到底及ばない、存在の臨界での恐怖と不安を克服するために宗教は在るのだと思う。

 

 人生におけるトレイルの意味。

 トレイル=道を題材にとる本書の記述は、一見すると、トレイルに関する具体的な事例を紹介しているだけのように見える。しかし、そうした何気ない記述が人生という者に対する不分明な生活実感を恐ろしく精緻に掬い取っているようにも思われるのである。いくつか例を紹介しよう。

 筆者が古生物学者に同行し、太古のエディアカラ紀に史上初めて「歩いた」生物の痕跡―岩盤に残るトレイルの化石―を探しに行ったとき。

結局のところ、最初に力をふりしぼって這った動物は、単に家に帰りたかっただけかもしれない。

 アリやケムシがフェロモンを用いた簡単な伝達システムを用いることで、極めて効率的に仲間にエサの在り処を伝え、全体として極めて高度な集合知を体現していることについて専門家の話を聞いたとき。

 ~。集合的知性を長年研究してきた人は、この知識を使って都市をどのようにデザインするだろうか。そこで、新しい都市の市長としてブラジリアのように無から都市をデザインするとしたら、どのようにつくりますか、とドノブールに質問してみた。

 「新しい街ができあがっていくところを見たいね」と彼は言った。「もしわたしが市長だとしたら、まぁそうなる可能性はかなり低いけれど、自由にやってもらうよ。様々なタイプの素材を用意し、市民が好きなように問題解決する手助けがしたい」

 わたしはこの回答に少し驚いた。彼は効率的なシステムを設計する専門家だ。それなのにその専門知識を使わず、移住者地震に計画を立てさせるというのだろうか?

 「そのとおり」と彼はいたずらっぽい笑顔で答えた。「他の人々にとっての解決法を知っていると考えることは、ある種の愚かさだからね。」

 交通網の発達により目的地に向かって結節点から結節点へ高速で移動できるようになった現代、トレイルの意味を再考したとき

~。トレイルがより早く目的地に到達させてくれるほど、わたしたちはますます世界の複雑さや流動性から遮断され、生活は脆弱で、固定され、近視眼的になってしまう。