さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

「高齢者」というカテゴリー分けの問題点

「お年寄り」「若者」なんて世代論にはじまり、「男」と「女」、「学者」と「実業家」などなど、社会を様々グループ分けして話をすることは日常茶飯事じゃないかと思っておりまして、最近の若者はSNSのせいで人間関係が希薄だ、なんて具合に特定のグループに或る属性(ここでは、人間関係が希薄な集団)を付与して、何だかんだお喋りを楽しんでいるわけです。こうした行為も立ち話ならあまり害が無いものの、政策や広範な実務レベルで適用されると、色々大きな支障が出てくるんでございます。

 

今回取り上げるのは、またまた、ルンド大学ヨンソン博士の"We will be different!: Ageism and the temporal construction of old age"という論文でして、現役世代、特に医療従事者間における「高齢者観」の特徴と、それに起因する問題点の指摘が主な内容になっております。

 

ここで問題にされている高齢者観が何かと申しますと、端的に言えば、「今の現役世代が将来高齢者になった時、現在の高齢者とは違う性質をもった社会集団になるだろう」という見方。言い換えると、過去、現在、未来の高齢者を互いに異なる性質を持つ集団として捉える傾向がある、という指摘。

筆者は20世紀中ごろにかかれた書物や論文に遡り、現代の高齢社会の研究で言われているの同様の「現在の現役世代が高齢者になった時、今の高齢者とは異なる性質をもつ集団になるだろう」という主張があることを指摘しているわけです。もっとも、さかのぼれば、今と同じような意見を述べている作家や研究者の一人や二人が見つかるのも不思議ではなく、筆者が量的な言論分析を行っていない以上、上記の高齢者観の連続性が現実世界でどれほどのインパクトを持っていたかは果たして疑問符。ただ、以下に述べるように、筆者の指摘は一部の高齢者への適切ではない扱いを是正するうえでは良い見方と思われますので、思考実験と思ってお付き合いください。

 

さて、以上の高齢者観が実際にどんな不具合を招いているのかについて、博士の指摘は以下の通り。

・高齢者を、自分たちとは異なる、外集団として扱うことを一般化している

・社会を年齢ごとに区分けする見方を強化している

介護施設内で、高齢者に対するクオリティの低いサービスを正当化する理由として作用している

 

まず、社会を年齢ごとに区分けして、高齢者を外集団として扱う傾向については、現役世代に共通で見られ、かつ戦前から見られる見方として筆者は指摘しております。特に後者については、現代の研究、記事で見過ごされている点として、筆者は強調してるわけです。

その結果、現役世代との比較の結果、高齢者に対して広範で否定的な属性が付与されがちであることが問題点になってくるわけです。実際上の問題は二つに分類できまして、第一、「高齢者」というラベリングが非常に強力で、高齢者と言われる集団の中での多様性に目が行きにくい点。若いんだったら働いて当然、ってな具合で、年取ってるなら仕事辞めて何か趣味にいそしんでなさい、という感じで、個人に対して逸脱を許さないような重い規律になりうるわけです。第二に、付与される属性が概ね否定的であること。これを筆者はAgeismの象徴として考えて居りまして、「高齢化すると体が衰弱する」「生活状況の改善に意欲がなくなる」なんて具合に考えられがちだというわけです。

これらが実際の現場レベルになると、介護従事者が高齢者のニーズを勝手に決めて、自分が利用者なら望まないような施設環境を利用者に強制してるんじゃないのって疑問に変わります。具体的には、筆者が聞き取りを行ったスウェーデンと日本の介護施設でも、従事者は利用者たちは集団で生活することが当然の環境で育ってきており、個室よりも集団部屋に入居することを望んでいる、或いは利用者は元々状況を改善しようという意欲が少なく、今の環境に満足している、など、従事者側に都合の良い状況を利用者に投射しているだけなんでは?と思えるようなことを言っていたそう。

 

以上を受けて、筆者の提案は以下の二つ。

まず、「高齢者」というラベリングが往々にしてAgeismの影響を受けやすく、高齢者を身体的・精神的に衰弱した集団として切って捨てがちな我々の傾向を自覚すること。

第二に、特に医療従事者や政策担当者は、高齢の人が抱えている問題を安易に「高齢化」という要素で説明しようとしないこと。十分に彼らの生活状況や個人的事情を組み、学問的な分析を経たうえで、問題解決のフレームワークを作ろうって具合。

まぁ、二つとも至極真っ当な考え方ではないでしょうか。

 

 

博士の批判はもっともなんですが、現実レベルで変化を起こすにはもう少し踏み込んだ議論が必要なんではないかと。

第一に、どのようにして反Ageism的で、かつ高齢者の「実際のニーズ」なるものに測定するのか。自分の経験や社会的立場から政府などの見解を「現実と乖離している」として批判することは簡単で、それは単純に自分が思う「現実」を相手の『現実』にぶつけているだけで、相手からしてみれば『現実』の方が正しいのであって、議論は深まらない。従って、人それぞれ経験してる「現実」からいったん距離を置いて、統計や法律などより共有しやすい根拠に基づいて、かつできる限り論理構成に感情や特定の倫理を混ぜ込まないで議論できるような方法を導入しないとならんわけです。本件の場合。筆者が自分のインタビューや特定の著作を基に論を展開したところで、あくまで筆者の「現実」に基づいた意見でしかなく、他者への影響力は制限的なものになる。故に、より広範なデータ分析に基づいて、かつAgeismを乗り越えられるような数式や論理体系を構築してこそ、より政治的な影響力のある論が展開できるんではないかと思うわけです。

一方で、政治的影響力を行使するには、政権担当者が無視できないほどの社会的勢力となることも重要な方策で。実際に介護施設利用者、或いは高齢者の意見利益代表団体を構築し、「実際のニーズ」なるものを力技で政府や会社に届ける方法もあるわけです。

 

終わり