さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

【移民大国スウェーデン】スウェーデン生まれと移民とで別の介護システムが必要なん?ってお話

恥ずかしながら、実際に訪れるまではスウェーデンって白系ネイティブ・スウェーデン人だらけだと勘違いしてたんですが、実のところ世界指折りの移民国家だったわけであります。

数字上で見ますと、2014年時点で全人口の16%が外国で生まれた人なんだと。ちなみに、日本は1.1%(国立社会保障・人口問題研究所「第七回人口移動調査」)で、OECD内ではアメリカ13.1%、ドイツ12.8%ってな感じです(OECD International Migration Outlook2015)。スウェーデンの移民受け入れが本格化したのは二次大戦後、1970年代ごろからなので若い世代より若干数は少ないですが、65歳以上に限っても12%が外国生まれの方々。本文中で取り上げられる大まかなグループはサーミ系(ほとんど移民じゃない)、フィンランド系、ユダヤ系、南米系、イラン系、アラブ系となっております。アラビア語は方言の違いが大きすぎるので疑問符ですが、概ね言語別の分類になっているよう。

 

さて、本題はこうした民族集団ごとの介護施設の可否、具体的に言えば、政府中心のスウェーデンの介護システムの中で民族ごとのニーズにどこまで細かく対応すべきなのか、という議論ですね。

 

先日の記事と同様、ルンド大学ヨンソン博士らの研究なんですが、今回も1995年から2015年にかけてメディア上で発表された論文や記事を分析して、メディア上でどのような枠組みで問題が議論されてきたのか、という点について取り上げています。社会問題の見方、考え方というのは社会のあらゆる主体の活動によって随時恣意的に変化しているという考え方をSocial Constructionというんですが、そのうちマスメディアの役割を重視した結果、今回のようなメディア分析に至ったということなんですね。

 

博士らは、スウェーデンで広がりつつある民族集団ごとの介護施設とそれにまつわる問題に関して、主な2つの枠組みを提唱しています。①言語・文化フレームと②ライフスタイルの選択フレームです。順にさらっていきましょー。

 

①言語・文化フレーム

これは、ずばり、政府が提供する主流の介護施設では、高齢移民被介護者の個々の言語的・文化的ニーズに応えられないため、民族集団ごとの介護施設はその問題の解決策として重要だ、という見方ですね。

スウェーデンでは若者を中心に実用上英語も公用語になっているんですが、やはり彼ら彼女らはスウェーデン人。スウェーデン人が大半を占める介護サービス等は専らスウェーデン語で行われます。加えて、高齢移民の方は長年のスウェーデン在住歴にもかからわずスウェーデン語を話せない、或いは認知症等で少しずつスウェーデン語を忘れていってしまうとのことで、スウェーデン人スタッフと高齢移民被介護者との間で意思疎通が取れないってことが起こるそう。介護職は利用者さんとの意思疎通が最大の仕事なので、これは厳しいですねー。

そんなこんなで、現在に至るまで、民族集団ごとの介護施設がその数を増やしてきているわけなんです。

これだけ聞くと、いいことなんじゃねぇの?って思うんですが、筆者らは以下のように2つの問題点を指摘しております。

第一に、スウェーデン福祉の最大の特徴たるユニバーサルケア・システムとの兼ね合いですね。スウェーデン社会保障システムはサービスの画一性が特色となっとるわけです。画一性というと、個性を尊重するこのご時世、なんだか悪いことのように思われがちでしょう。そういう側面もあるんでしょうが、もともとスウェーデンでは、政府が社会保障の大元締めになっている以上、国の何処にいても、どんなバックグラウンドの人でも、同様に質の高いサービスを受けられるようにしよう、というのが基本理念なんですね。スウェーデンでは、みんなサービスを受ける権利があるという発想が根底にあるわけです。

ところがそこで、高齢移民のニーズに対応することは、どこまでが認められるべき=政府が責任を持つべき権利なの、という問題が出てきます。各人が自分の裁量で介護サービスを決めるんでなく、政府が各人の権利に基づいてサービスを一律に提供している以上、その権利の内容と範囲がサービスの内容の決定に重要な意味を持つわけなんです。政府の物的・人的リソースは有限で、かつ社会には支援を求めている社会集団は数限りなくある中で、高齢移民のニーズは際限なく認められていいの?ってことですね。

民族ごとの介護施設に好意的な論者は、彼らは彼らの望むサービスを受ける権利を社会的に与えられていると胸を張って主張しているわけです。加えて、政府はそうしたサービスを提供する義務があると。筆者らはこの主張に明確に反論しているわけではありませんが、留保を付している、という感じですね。

 

さて、第二は、「高齢移民」というカテゴリーって意味あるの?という疑義ですね。「人間」とか「基本的人権」って言われると真っ先に?が浮かぶ人がほとんどなんじゃないかと思うんですが、「高齢移民」という具体度で言われるとなんだか実際に存在している人、さらにはその人たちの求めていることって一様で対応可能な気がしてくるのが人間の認知の不思議ですが、当然彼ら彼女らの中にも様々な声があるわけです。上記の言語・文化フレームを批判する論者らは、「高齢移民」なんてカテゴリーで彼ら彼女らをひとくくりにして扱うのは横暴だと叫ぶんですね。LGBTQsとか、そもそもスウェーデン語を十分に話せるとか、いろんな人が含まれているんだから、大まとめにして扱うなと。これはよく見かける、かつごもっともなご意見でございまして、筆者らも「高齢移民」というカテゴリー、ひいては言語・文化フレームを様々な他のカテゴリーと比較しながら使うべきだと言っている訳なんでございます。

 

②ライフスタイルの選択フレーム

これらの批判に比較的うまく対応する第二の枠組みが、この第二の枠組みなわけです。上記のように高齢移民における言語的・文化的ニーズとそれへの対応という枠組みを相対化して、LGBTQsやその他、主流の介護施設では対応しきれない沢山のニーズを満たすために各人が自分にあったサービスを得られるように、沢山の選択肢が用意されているべきだという理論ですな。スウェーデン国内における社会保障サービスの民営化の流れ、更には他国でもみられる個別のニーズに応えようとする潮流にも合致している見方だと筆者らは指摘しています。

もっとも、ライフスタイルの選択フレームは、自由競争の原理を一部介護システムに導入することになり、不可避に前述のユニバーサルケア・システムと齟齬をきたすわけです。結果発生するであろう社会的不平等に対して、それをどのように評価し、かつどのように対応していくかという点については政府・社会双方にとって大きな課題になるでしょう、とのこと。

 

 

以上まとめますと、筆者らの結論は以下のよう。

まず、スウェーデンの介護システムは、従来の基盤たる画一的な人口構成が変化し多様な構成員を含む社会へと変貌しつつある中で、社会保障サービスの平等原則から個々のニーズに対応しなければならない状況に直面している、という点。

次に、政府が以前として大きな役割を持つ介護事業に関して、「高齢移民」というカテゴリーは廃止したほうが良いんじゃない、という提案。結局、各人のニーズに対応しきれないんだから、新しい枠組みを考え直そう、更に言えばこれまでのカテゴリーは官僚や研究者、ジャーナリストが外在的に決定してきた属性にすぎず、当人たちの声をもっと重視しようぜ、っていうヨンソン博士お気まりの指摘。

 

終わり