さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

社会問題批評の枠組みのお話

日本ではいじめや汚職なんて社会問題は日々のニュースの大部を占めているわけですが、お国が変わっても、同じようなことは言えるようで。

 

今回取り上げる論文は、スウェーデン国内の介護施設におけるスキャンダルと、それについての議論の前提についての小論です。以前紹介したAgeism批判論文の筆者のうちの一人、スウェーデン、ルンド大学ヨンソン博士の寄稿ですね。

 

naoshiaut.hatenablog.com

 

日本でも高齢化に伴って高齢者介護施設での暴力事件やその他問題は大々的に取り上げられることも多くなってきましたが、ところ変わってスウェーデンでも介護施設の民営化が進んでいたり、元々高齢化率の高い国であったりと高齢者介護への関心は高いんです。

いったん問題が起きると様々な形で報道、原因追及が始まるわけですが、それらの中での問題の理解の仕方には幾つかの類型があって、しかもその理解の仕方は高齢者の役割を過小評価しすぎなんじゃないの?という問題意識が出発点です。博士はそこから介護施設での問題を批評する際の代表的な3つの枠組みを紹介しつつ、それらが高齢者を脆弱で無力な被害者としか扱っていない点を指摘して、代わりに高齢者をキーパーソンとして捉えなおす新枠組みを紹介する、という流れになっています。

 

博士は、1990年から2013年にかけてスウェーデン国内で発行された新聞とテレビ番組、ならびにネット上の議論等を分析し、それらを類型化していく中で全体を3つのグループに分けていきます。余談ですけども、こうしたメディアを分母にした類型研究って多かれ少なかれ認知バイアスに引っ張られやすいのでこれまで敬遠してたんですが、どうやら特別な方法論があるようなので、これも後日ご紹介できればいいかなと思っております。

さて、分析の結果、博士は次のような類型を提唱しています。①「職員は加害者?それとも加害者?」タイプ、②「民営化(=利潤追求)は諸悪の根源」タイプ、そして③ポピュリストタイプ。以下、スウェーデンの介護事情を概観してから、各類型をザックリ説明していきますー。

 

大前提として、スウェーデンでは戦後長らく介護事業のほとんどは政府によって運営されてきました。「高福祉高負担」「北欧モデル」なんていう巷のイメージと合致するんじゃないでしょうか。

ところが、1990年代初頭、冷戦の終結など政治上、経済上の混乱の煽りを受けて、一時的にスウェーデン経済は深刻な不況に陥ります。加えて、新自由主義の経済学派が世界を席巻していた中、赤字の膨れ上がった政府は、それまでの方向を転換、政府事業の一部の見直しを大規模に行ったわけです。その中に介護事業も含まれていて、介護事業の運営主は中央政府から地方公共団体に移り変わり、更に営利企業の参入も大幅に規制緩和されたわけです。介護事業の一部民営化ですね。

合わせて、スウェーデンの介護事業の特色の一つは、在宅介護の重視ですね。これは1950年代以来の通奏低音で、特に近年、施設入所に関しては基準が引き上げられているというような状況です。

 

上記のような状況をふまえて、先ほどから繰り返し言及している、議論の3枠組みを紹介していきます。ここまで長かった笑

 

(1)「職員は加害者?それとも加害者?」タイプ

この類型は、言い換えると、問題が発生したときにスタッフと施設(あるいは、運営企業)のどっちが悪いのか、という点に注目する見方です。児童虐待と同様、高齢者虐待は事件後に強烈な反感を買うため、地理的にも因果関係的にも近いスタッフがスケープゴート(身代わり)として原因とされやすい。反対に、劣悪な労働環境がスタッフを非行に走らせたという施設側を批判する意見も提出されやすいので、この類型が発生するんだ、というのが博士の見方。

この枠組みの前提には、入居者も職員も同じく施設の環境に影響されるんだ、という利益の共通性が想定されているわけです。この考え方の利点は、得てして「介護する側VSされる側」という構図になりやすい中で、その溝を取っ払って介護者と被介護者との一体性を強調する点にあります。しかし、一方で、両者の利益対立を見えにくくし、かつ利用者の細かい要望を見過ごす原因になるんじゃないの、という点も博士は指摘しているわけです。

こうした批判は、介護職員の地位と労働環境を改善することが解決策として重要で、政府へのさらなる資源投入、職能団体の支援を要求する方向へ向かいがち。

日本でも2016年に介護施設職員が入居者3名を突き落として殺害する事件がありました(川崎老人ホーム連続殺人事件)が、その際の報道の多くは加害者の異常性か、労働環境の劣悪さに終始していたように記憶してます。その他、日本での報道はこの類型が多いんじゃないでしょうか。

 

(2)「民営化(=利潤追求)は諸悪の根源」タイプ

要するに、営利追求企業は利益のためなら従業員の賃金カットでも施設投資費の削減でも何でもするから、そのせいで介護施設の環境が悪化しているだ、という見方ですね。民営化には不可避的な論点。また、報道上、「悪役」としての私的企業像が演出しやすいため、メディア受けが良い点も挙げられています。

この種のステレオタイプに依拠した批判にありがちな問題点として、実際のところ公的機関に比べて営利企業の運営する施設のクオリティが低いのか、或いはコストカットに伴うサービスの質低下が実際に発生していたのか、という検証が十分になされないままに議論だけが進んでいってしまうということが示唆されてます。

批判者の提唱する解決策は2つの類型に分別されます。第一に、民営化を抑圧するような方向性ですね。そもそも民営化したから問題が発生したわけで、さらなる民営化の進行はおろか、既に民営化された企業の再公有化も視野に入れるべきだ、と主張するわけです。第二に、私的営利企業に対して、政府はさらに規制をかけるべきだという方向性。政府が厳重に基準を管理することで、サービスの質は高水準で維持されるんだと主張するわけです。ただ、政府の規制があまりにも現実からかけ離れた非効率的なモノだったり、サービスの経済性が犠牲になったりと様々なマイナス面も考えられるわけですが。

 

(3)ポピュリストタイプ。

ポピュリズムって近年最大の流行語の一つなんじゃないかと思うんですが、政治学徒としていまいちピンと来ないんですよねー。定義がブレブレな感じ。

さて、ヨンソン博士の言うところのポピュリスト的主張ってのは、介護施設での問題を社会構造全体から演繹しよう、という主張ですね。具体的に言うと、「移民/難民」「ホームレス」「特権階級」の3者が不当に社会的資源を乱用していて、この社会の礎を築き上げ、手厚いサービスを受けるべき高齢者に十分な資本が割り当てられていないぞ!という主張だそう。「我らVS彼ら(Us VS Them)」の構造ですね。意外と知られていないんですが、スウェーデンは戦後長らく大規模な移民を受け入れていて、全人口の15%超が海外で生まれたか、両親が外国出身なんて統計があるぐらい移民大国なんです。確かに街を歩いていると、東アジア系こそ少ないものの、金髪碧眼に混じって、黒髪色黒の中東系、南ヨーロッパ系の方をよく見かけます。

ヨンソン博士曰く、この主張はそこまで広い支持を受けているわけでないということなんですが、執筆当時(2016年)に比べて現在の状況は様変わりしていて、本文中でも触れられているスウェーデン民主党(Sverigedemokraterna, 通称SD)というポピュリスト政党の躍進は今年の総選挙で最大の争点になっているわけで、スウェーデン国内の変化を表してますねー。

 

はてさて、上記の3類型に対して、ヨンソン博士はAnti-Ageismという枠組みの導入を提唱されています。

つまるところ、介護施設における問題の解決にあたり、利用者、すなわち高齢者の役割をもっと重視しようぜ、という考え方ですね。前々回の記事と同様、障碍者福祉の分野で発達した、サービス利用者の社会的権利を拡充することで、サービス利用者=弱者という構図を変えようという試みなわけです。Nothing about us without usってことですな。

博士は、この新しい枠組みは従来の枠組みで語られていた問題に新風を起こしうる、と主張しています。具体的に言えば、サービス利用者として高齢者の役割を再評価することで、これまで政府や研究者が決めていた「いいサービス」の基準とは違う、利用者目線で決められたサービスの基準を作れるんではないかと。これによって、(1)で取りざたされていた施設環境の向上も、(2)で批判されていた経済的効率主義も、(3)の中心課題だった「本来ならサービスを受けるべき高齢者」像における「理想的サービス」の定義でも、新しい見方が可能になるという話なんですね。確かに、これまで何故か、サービスの基準を定めるときに、本来は最も重要なはずのサービス利用者の視点が欠けていて、官僚や研究者、企業などが間接的に基準を定めていたんですよね。不思議。

 

以上の議論は、介護施設の問題に限らず、あらゆる社会問題でも有効な認識枠組みだと思います。民営化に関して言えば、昨今水道の民営化が議論になってますが、それぞれの意見がどの基準に即していて、かつどうすれば異なる枠組みの議論を同じ俎上に乗せられるか、という点に意識していけると、もっと生産的な議論が出来るんではないでしょうか。

終わり。