さしのみ

東大で法律学んでる傍ら、高齢化とその他諸々の本、論文の要約レビュー等をやってます。感想・ご意見等、時間の限り書いて寄越してください。

三人称で負の感情が楽に和らぐよ、という脳科学研究

最近、遺伝子と脳科学と精神病理にハマっているわけなんですが、題名通り今回は人称代名詞を変えるだけで負の感情を抑えられるよ、というネイチャー論文をお送りいたします。

 

他人事なんて言葉があるように、元来、人ってのは他人には自分事ほど強い感情を持てない生き物なんでしょうが、それは脳科学的にも正しいの?というのが本研究の問題意識。

研究者らは人称代名詞の変化、つまり"I"=一人称と"それぞれの名前"=三人称とを使い分けると、同じ出来事に対しても人の感じ方は変わるんでないか、と考えたわけです。そこで、彼らは二つの仮説を立てたんですが、そもそも一口に感情といっても、脳科学的には二つの波形に分けられています。第一波形は、LPP(the late positive potential)といって、感情の発生を表すもんです。脳の偏桃体という部位が関わっているとされています。第二波形は、SPN(the stimulus preceding negativity)といって、意識的に感情をコントロールしようとすると確認される波形ですね。前頭前皮質内側部(Medial Prefrontal Cortex)という、前頭葉の一部が関係していると言われています。

これらを前提にして、科学者らの仮説は以下の通り。

第一に、三人称を使用すると、負の感情を呼び起こす物事に対するLPPの強さが抑えられる。

第二に、三人称を使用しても、SPNの強さは一人称を用いた時と変わらない。

要約すると、三人称を使うと、一人称時と比べて、楽に感情をコントロールできるよ、ということですね。例えていうと、単純な計算の試験で、試験時間はそのまま、試験の問題量が少なくなれば、必然的に楽になるって感じでしょうか。

 

上記の仮説を検証するために2つの実験が行われたんですが、過程をとばしてしまうと、仮説を裏付けるような結果が出たわけです。詳細については、統計学的にも脳科学的にも説明に必要な知識が僕に無いので、ご関心の方は上のリンクから原典をご参照ください笑

 

ここで面白いのが、嫌な感情を呼び起こすような写真を見た時に三人称を使うように指示されるというような単純な介入だけでなく、自分の過去の嫌な記憶を振り返るときも三人称を使うことで負の感情を抑えられるということが分かったということですね。科学実験ってのは介入が限定的すぎて現実にはいまいち適応しずらいことが多々あるんですが、この実験の成果は今すぐにでも実生活に生かせそう。

 

この実験を受けての個人的感想は以下のよう。

先ず何より、人称の変更という言語的介入で実際の脳内の化学反応が変わる事が確認されたわけですが、これがどのような含意を持つのか、更に詳しく調べてみたいですね。例えば、実験では恐らく英語が使われたと思うんですが、これが日本語のように明確に人称代名詞をせずとも文章を構築できる言語だった場合にも、同様の効果を得られるのか、とか。或いは、非バイリンガルが外国語で思考した場合には、母国語と同様の効果が発生するのか、とか。はたまた、「こころ」或いは、「意識」が脳とどのような関係にあるのか、という問題は、心理学、脳科学、哲学上の大問題なわけですが、「言語」という抽象的意味体系が脳に影響を与えることを証明した点で、こうした研究の今後の貢献に期待したいですねー。

続いて、優れて脳科学的な疑問なんですが、感情と結びつく脳内の反応は一つの種類しかないの?と思ったわけです。先ほど計算問題の比喩を使いましたが、例えば、計算問題の量と試験時間については分かっているとして、計算問題の質=難しさは常に一定なのか、という疑問ですね。今回の実験では、不愉快な写真を見た時と、自分の過去の嫌な記憶を思い出した時の反応とを一緒くたにしてますが、どちらも同じ反応なんかな、ってのは素人として疑問なわけで。

最後に、自分の最大関心事である高齢者支援との関係で、こうした脳科学に基づいたライフハックは心強い下支えになるわけです。概ねすべての支援事業、或いは政策は、何らかの形での既存の社会関係への介入を意味していると思うんですが、複雑な人間というシステムに立ち向かうに際して、上記のような認知科学の裏付けのある知識は、統計学的、状況的な制約はあるにせよ、最も重要な道具のうちの一つになるんですね。

もっとも、知識の価値とは、それが正しいかではなく、それが人間の魂を向上させるか否かである、というようなことをニーチェが言っていた通り、知識の正しさ云々だけでなく、それを実際の社会で試すことも怠らずに行きたいですねー

終わり